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東京地方裁判所 昭和39年(むのイ)632号 判決

被告人 芹沢久雄 外一名

決  定

(被告人氏名略)

右両名に対する各暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件について、昭和三九年九月二九日東京簡易裁判所裁判官伊藤香象がなした勾留取消の裁判に対し、検察官鈴木利雄から適法な準抗告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件準抗告の申立を棄却する。

理由

一、本件準抗告申立の趣旨及び理由は、検察官鈴木利雄作成の準抗告申立書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

二、よつて検討するに、検察官提出の資料、当裁判所が東京簡易裁判所より取り寄せた本件被告事件記録及び同裁判所庶務課長岡田昌雄作成の同裁判所令状請求事件簿抄本、同裁判所裁判官伊藤香象、同書記官菊地康夫、同事務官高安貞男の当裁判所に対する各申述書によると、次の事実が認められる。

(1)  被告人両名は、「ほか一名と共謀のうえ、昭和三九年九月一九日午前二時二〇分頃、東京都港区赤坂田町四丁目一三番地先路上において、タクシー運転手栄国夫(当二三年)に進路をすみやかに譲らなかつたと因縁をつけ、同人に対し被告人出が顔面につばをかけ、被告人芹沢が『俺達は赤坂のやくざだ。警察に届けるなら届けてみろ。』等と申し向ける等して右栄に数人共同し、団体の威力を仮装して暴行・脅迫を加えたものである。」との事実に基づき、同日午前二時三〇分司法巡査により緊急逮捕されたうえ、警視庁赤坂警察署に引致された。

(2)  同日、同署司法警察職員山際陸郎は、司法警察員斎藤末治作成東京簡易裁判所裁判官宛にかかる被告人両名に対する各逮捕状請求書を同裁判所令状係事務官高安貞男に提出し、同係室待合所で逮捕状の発付を待つた。同事務官は、同裁判所庁印の押捺されている逮捕状(乙)用紙二通にそれぞれ発付年月日、被疑者氏名、引致場所を記入し同裁判所裁判官伊藤香象の記名ゴム印を押捺して、右各逮捕状請求書の表にホツチキスで止めたうえ、疎明資料と共に同裁判官のもとに提出した。同裁判官は、右疎明資料を検討したうえ被告人らに対し逮捕状を発付するのは相当でないと判断し、右司法警察職員山際陸郎を呼んで請求の取下げを促し、右疎明資料と共に逮捕状請求書を手渡したが、右逮捕状の用紙も逮捕状請求書に付けたまま手交した。一方、右事務官高安貞男に対しては、請求を取下げさせた旨告知した。そこで、同事務官は令状請求事件簿の当該要旨欄に「取下」と記入した。右山際陸郎は、右逮捕状用紙及び逮捕状請求書を前記司法警察員斎藤末治のもとに届けた。

なお、右の逮捕状請求書には請求を却下する旨の記載がなく、また一方において令状請求事件簿の当該令状受領印欄にも令状受領の表示たるべき押印がない。

右のようにして、裁判官から司法警察職員に手交された逮捕状用紙には、その被疑者氏名欄に被告人らの各氏名が記入され、東京簡易裁判所の庁印と裁判官伊藤香象の記名ゴム印が押捺されているが、右記名ゴム印の下に同裁判官の押印が欠けている。また、被疑者の住居、職業、年令、逮捕したことを認めた罪名、被疑事実の要旨、請求者の官公署氏名、逮捕した年月日時及び場所は別紙逮捕状請求書のとおり、と印刷されているが、逮捕状請求書との間にも同裁判官の契印がない。

(3)  被告人両名は、同月二〇日東京地方検察庁検察官に送致され、同日中に同検察官から東京地方裁判所裁判官宛の勾留請求がなされ、翌二一日同裁判所裁判官が被告人両名に対し右事実につき刑事訴訟法六〇条一項二・三号の理由ありとして勾留状を発付した。

(4)  同月二九日、被告人両名に対し右事実について公訴の提起及び略式命令の請求が東京簡易裁判所になされた。同事件は、たまたま前記裁判官伊藤香象の審理するところとなつたが、同裁判官は同日右事件は略式命令をすることが相当でないと判断してその旨検察官に通知し、更に被告人両名の勾留に関し、各々「被告人に対する勾留は、逮捕状に基づかない逮捕を前提とする勾留であるから、理由がないものとして職権によりこれを取消す。」との裁判をなした。

三、検察官は、右の勾留取消の裁判は判断を誤つたものであるからその取消を求めるというのであるが、当裁判所は以下に述べるような理由により右裁判は相当であると解する。

四、原裁判は、本件逮捕は逮捕状に基づかない逮捕であると判断しているが、検察官はまずこの点について、被告人らに対しては適法な逮捕状が発付されていると主張する。

前記二の(2)で認定したところより明らかな如く、本件はいわゆる逮捕状の印漏れという事案ではなく、そもそも逮捕状自体が裁判官の意に基づいて発付されていないのである。従つて、真の意味においては、逮捕状発付行為が成立していないものといわなければならない。しかし、手違いであるにもせよ、裁判官の記名ゴム印と裁判所の庁印を押捺した逮捕状用紙が裁判所より司法警察職員に手交されているので、一応外観的には逮捕状発付行為が存在しているものといえよう。そこで、進んでその有効無効を判断することにする。

憲法三三条は、「何人も現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。」と規定し、個人の人権を保障するため逮捕には司法官憲の令状発付を必要としているのであるが、右の令状発付は捜査機関に逮捕権を与える裁判そのものであり、捜査機関はその効力に基づいて逮捕権を行使するのである。即ち、ここで要求される司法官憲の判断は、令状を通じて表示されるのであり、その内容も令状の記載によるのであるから、右の令状には被逮捕者名、逮捕理由等を記載し、権限を有する司法官憲の発したものであることが当然表示されていなければならない。刑事訴訟法二〇〇条は、右憲法の規定を受け、逮捕状には被疑事実の要旨等を記載し、「裁判官がこれに記名押印しなければならない。」として逮捕状の方式を規定している。しかしながら、逮捕状の方式違反の効果については、刑事訴訟法上は何ら規定するところがない。従つて、右方式の違反が逮捕状を無効ならしめるものか否かは、個々の方式違反の各場合について、逮捕状の本質に照らしその方式の要求される趣旨、重要度等を考慮して決すべきである。そこで、裁判官の押印を欠いた場合について考えるに、逮捕状にその発付責任者たる裁判官の押印がないというのであれば、当該逮捕状がはたして裁判官の真正に発したものであるか否か到底知ることができず、もしかかる逮捕状をもつて有効とせんか、私人の権利保護に欠けるのみならず、裁判の確実性を害するものというべきである。そして、このことは、たとえ裁判官の記名と裁判所の庁印があつたところで変るものではない。従つて、裁判官の押印の欠缺は、逮捕状を無効ならしめるものといわなければならない。

而して、本件逮捕状用紙は、裁判官の押印がなく、逮捕状請求書との間に裁判官の契印すらないのであるから、あくまでも用紙にすぎず、逮捕状としての効力を有しないものと断ぜざるを得ない。逮捕者において、仮に本件逮捕状の用紙をもつて裁判官の発した逮捕状であると信じたとしても、被逮捕者にとつては一片の紙切れにすぎないのである。そして、そこで尊重さるべきは、逮捕者の善意ではなく、被逮捕者の人権である。

五、ところで、被告人両名に対しては、右の逮捕手続に続いて、東京地方裁判所裁判官の勾留状が発付されている。そこで、検察官は右の逮捕が仮に違法であるとしても、これがため適法な手続を経て発せられた勾留状まで不適法にするものではないと主張する。

(1)  起訴前の勾留に関しては、刑事訴訟法二〇七条が「前三条による勾留の請求を受けた裁判官は、その処分に関し、裁判所又は裁判官と同一の権限を有する。」と規定し、裁判官は検察官の請求により勾留の裁判をなし得る旨定めている。また、同法二〇四条ないし二〇六条は、被疑者を逮捕しまたは逮捕された被疑者を受取つた検察官において、勾留の請求をなし得る旨規定している。これらの規定からすれば、起訴前においては、裁判官は検察官の請求によつてはじめて勾留の裁判をなすことができ、検察官は適法な逮捕を前提としてのみ勾留の請求ができるものと解される。従つて、逮捕が違法である以上、検察官としては直ちに被疑者の釈放を命ずべきであつて勾留の請求をすることができず、たとえ勾留請求がなされても不適法な請求であるから、裁判官は勾留状を発付することができない。即ち、右の各法条は単に被疑者を逮捕しまたは逮捕された被疑者を受取つた検察官の義務を規定したに止まらず、進んで適法な勾留請求の存在が勾留の一要件をなすものであることをも規定しているものと解される。

(2)  違法な逮捕に続いて勾留状が発付されたとしても、勾留状発付行為自体は何ら瑕疵のないものであるとする検察官の主張は、その根拠として、(イ)「たまたま違法に逮捕されている状態にある被疑者に対しても、検察官はこれとは別個に独立して勾留の請求ができる」という解釈か、あるいは仮に請求できないにしても、(ロ)「一旦勾留状の発付された以上、逮捕手続の瑕疵は直接勾留状の本質に触れるものではなく、勾留状発付には何らの瑕疵もない」という解釈を前提とした主張であると考えられる。そこで、まず右の(イ)の解釈を検討することにする。

なるほど、本件のような場合において、もし直接勾留を請求できないとすれば、検察官は被疑者を一旦釈放したうえ、改めて適法な逮捕状を得て逮捕手続をやり直し、そのうえで被疑者の勾留を請求してくるであろう(もつとも、本件において再度の逮捕状請求が可能か否かいささか疑問である。先の請求は撤回の形をとつており、裁判官が請求却下の判断を表示しているわけではないが、公訴取消に対する再起訴の如く、再請求には新たな事情の発生を要するのではないかと考えられるからである。しかし、ここでは一応再請求できるものとして、あるいは新事情が発生したものとして議論を進める)。このように手続を繰り返せば、それだけ被疑者の身柄拘束の時間が長くなる。一方、勾留状の発付は裁判官が逮捕状の発付以上に厳格な手続を踏み、犯罪の嫌疑、逃亡または罪証隠滅のおそれを判断して行なうものである。従つて、かかる場合には改めて逮捕手続を繰り返させることなく、直接検察官に勾留請求権を認めた方が、被疑者にとつてはかえつて有利な取扱いではないか、ということも考えられないではない。

しかしながら、検察官に逮捕を前提としない勾留請求権を認めた方が身柄拘束の期間が短かくなつて被疑者に有利であるとは一概にいえない。刑事訴訟法は、検察官に逮捕を前提としない勾留請求権を与える旨の明文規定を置いていないのみか、前述の如く二〇四条ないし二〇六条において、被疑者を逮捕しまたは逮捕された被疑者を受取つた検察官が勾留を請求できる旨規定しているのであるが、その根底には、最初から一足飛びに勾留という逮捕より長期の身柄拘束を認めるよりも、最初は逮捕という短期の身柄拘束を認め、取調の結果によつて段階的に長期の身柄拘束に移ることが被疑者の人権を全うするゆえんであり、そのためには逮捕手続を前置させて手続を厳格にすべきであるとの思想が存するものと考えられる。(本件においても、改めて適法な逮捕手続がとられておれば、その逮捕期間のみで身柄拘束の必要がなくなつていたかも知れないのである。)従つて、逮捕を前提としない勾留請求権を認めようとする前記の解釈は、右のような刑事訴訟法の趣旨に反するものとして採用できない。仮に、採用の余地があるとしても、それは、或る事実で適法に逮捕または勾留されている被疑者を右とは別個の事実で留置しようとする場合についてのみいいうることであつて、本件のような、或る事実につき違法に逮捕されている被疑者を逮捕と同一の事実で更に継続して留置しようとする勾留請求まで、右の解釈で是認する余地はないものというべきである。更に、本件においては、被疑者らは緊急逮捕された後、裁判官の逮捕状が発付されなかつたにもかかわらず、継続して身柄を拘束されたまま勾留を請求されている。もし、この請求を適法とせんか、刑事訴訟法二一〇条の、被疑者を緊急逮捕した場合には「直ちに裁判官の逮捕状を求める手続をしなければならない。逮捕状が発せられないときは、直ちに被疑者を釈放しなければならない。」との規定を無視することになろう。従つて、検察官はこのような場合勾留請求をなし得ず、たとえなされても不適法な請求といわなければならない。

(3)  次に、前記(ロ)の解釈について検討するに、右のように逮捕手続が違法で、従つて検察官の勾留請求が不適法であつても、一旦勾留状が発付された以上、勾留状発付行為には何らの瑕疵もないというためには、裁判官が起訴前においても職権で被疑者を勾留する権限を有するということを前提としなければならない。しかし、これまた明文の規定を欠き、(2)において述べた如く、勾留に逮捕を前置させた刑事訴訟法の趣旨に反するものとして採用できない。

(4)  以上、要するに、勾留状発付が適法であるためには、まず第一に適法な勾留請求が存在しなければならず、請求が適法であるためには、逮捕手続が適法でなければならない。本件においては、逮捕手続が違法であるから勾留請求が不適法であり、従つて勾留状発付も不適法というべきである。

ところで、本件勾留状発付、即ち勾留の裁判が不適法であるといつても、裁判官により記載要件を具備した勾留状が発付されている以上、直ちにこれを当然無効なものとはいえず、その効力を否定するためには、権限あるものの取消行為が必要であると解される。換言すれば、本件勾留の裁判は、一応成立したけれども、適法な勾留請求を前提としなかつたという瑕疵を有し、取消し得る裁判であるといえる。

六、最後に、原裁判官の勾留取消権限について触れておくことにする。

第一回公判前において、勾留の理由または必要がなくなつたときは、裁判官は刑事訴訟法二八〇条、八七条により、当該勾留を職権で取消すべき権限を有するが、その趣旨からして本件のように勾留状の発付に当初から取消原因が存する場合にも、職権で当該勾留を取消すべき権限を有するものと解すべきである。そして、その手続も刑事訴訟法八七条、九二条の規定するところに従うべきものと解される。

本件被告人両名は、勾留されたまま東京簡易裁判所に起訴されたのであるから、勾留はなお継続することになり取消の利益が存する。そして、事件は略式命令不相当により公判に付されることになつたのであるから、原裁判官は刑事訴訟法二八〇条の裁判官として勾留取消の権限を有するものと解される。なお、原裁判官は本件勾留を取消すにあたり、検察官の意見を聴いていないが、右の取消は刑事訴訟法九二条二項但書の急速を要する場合に該当すると解されるから、右は手続規定の違反とはならない。

七、従つて、原裁判は相当であるから、刑事訴訟法四三二条、四二六条一項後段を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 江碕太郎 播本格一 泉徳治)

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